何もしたくない日と自己受容について

今日はなんもしたくない
どんな方でもこんな日ありますよね?
どんなに心身共に健康な人だってそういう波ってあると思います。
特に、女性はそうゆう波って起きやすいと聞きます。
今日は、そんな日でして。。。
もう、とことんダラダラしておりまーす(ブログ書いてるけどな‼️)
んで、この『何もせずダラダラする』が苦手な方って多いのかなって思うんです。
私もその1人でして。
私のこと知ってる人なら、私が元来、かなりのんびり屋さんってことを知ってると思うので、
いやそんなことないやん!
と思ったかもしれないんですが、私がお伝えしてるのは、
のんびりする自分を受け入れられない
ってやつです。
なので、元々動き回るのが好きで得意って方には今日の話は当てはまらないので、ご了承くださいね。
昔の演奏動画を見て思うこと
話変わって、私、日記とかは付けないんですが、演奏家にとって、演奏動画が、日記みたいなところあるじゃないですか。
つまり、演奏動画を見るとその当時の心境とか思い出すみたいな。
昨日たまたま深夜に演奏動画掘り起こしてて
思うことがありました。
まぁ、技術面とかについては、少しはこの頃より安定するようになったのかなーとか
それでも、よく頑張って吹いてるなと思えるとこもあったり
だけど、一番変わったのは、
いわゆる
自己肯定感
自己受容感
ってやつ。
まぁ、もうとにかくそのときの自分って、どんなに頑張ってもどんなに練習してもどんなに上手く吹けても、お客さんに褒められても
全然自分を受け入れられななかった。
そんな感じだから、逆に家に帰ると疲れはてちゃって何にもできなくて。
そしてまたそんな自分を責める、みたいな。
今思えば、オイオイ、ドMごっこか?
なんのゲームやねん
とツッコミどころ満載なんですが、当時の自分はホントに真剣にマジメに馬車馬のように、そんな日々を繰り返してたように思います。
なんもせず一日ボーッとしてる自分なんて価値がない
なんかしないと怒られる
なんかしないと誰々はめっちゃ頑張ってるのに
ずっとこんな、心境だったかな
これだと、努力しても、努力しても、色々滑り落ちていくんですよね。
もちろん!努力するのは大切なことです。
特に、芸の世界はある一定の時期、とことんそのことだけに没頭する時間がないと、物になっては行きません。
だけど、そういう話じゃないのね。
なんか、残るのは虚しさだけ
一人でいると虚しくて仕方ない
助けてとかも言えない
寂しいとかも言えない
そんな感じでしたね。
ところが、今は、少しずつだけど、自分が自分であるだけで豊かである
とか
日常にある豊かさを前より断然感じれてる。
とか
何もしない自分でも存在していいんだなと思えてる。
とかそういうとこが、昔との最大の違いだなと気付きました。
もちろんいつもいつもその状態でいれるわけでもないんやけど、ブレても戻るのが早くなってきたなという感じ。
で、やっぱこの自己肯定感とか自己受容感というような『在り方』の部分が、人間の全ての部分の土台のようなもんだと思うんですね。
ここが整わないと、その上に立てるお城が崩れ落ちてしまうわけ。
『在り方』って?
で、この『在り方』を整えるって結局なんやねん。
とか、そもそも『在り方』ってなんやねん。
って感じですが、これに関しては色んな方が色んな表現をしていて、明確にこれが答えって表現しづらい。
どんな自分にもOKをだす
どんな状態も受け入れる
今日はこんな側面から話してるように思うけど、それも『在り方』を整えるという話の側面でしかないかもしれないわけです。
まぁでも、とにかく、いいたいことは、『自分と仲良くしようよ』
ってことなんですよね。
もうそこにその人がいるだけで、太陽のような人🌞
そんな人でありたいなと。
今日も、ありがとうございました😊
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